![]() | カレーズ | 交河故城 | 高昌故城 |
アスターナ古墳群 | 火焔山とベゼクリク千仏洞 | トルファンの街並 | |
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![]() | トルファンのカレーズ(地下水路)の模型。 天山山脈から降ってくる地下水脈をカレーズへ引き込み、生活用水として使用する。横たわる地下通路にはわずかな傾斜がつけてあり、自然に街まで流れていくようになっている。 これは現在の技術をもってしても困難な土木工事であり、古代人の知恵には驚嘆せざるをえない。 |
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カレーズの竪穴を下から見た写真 | カレーズの地下通路(暗渠) |
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交河故城入口 | 交河故城遠景 |
![]() | ここは交河故城の中心部にある官署の内部の写真。 官署は今の市役所に相当する。 当時はちゃんと屋根がついていたが、現在では吹き抜けの状態になっている。 左方にある穴は2階部分に通じる入口。 右方は、緊急時における避難通路となっている。 |
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官署の金庫。 扉が三重になっている。 | 大きな穴には大量の乳幼児が埋められていた。 諸説あるが、敵による殺戮を避けるため、 親自らが我が子を殺害し、埋葬したと推測されている。 |
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ロバ車。 高昌故城の入口から観光名 所の大寺院までの交通手段。 | ロバのアップ。 |
![]() | 大寺院入口。 高昌国時代、仏教は厚く信仰されていた。 第9代麹伯雅の治世に、ちょうど玄奘三蔵がインドへ経典を求めて旅をしていた。 それを知った伯雅は玄奘が近くまでやってきた際、わざわざ高昌国へ招待し、説法をするよう頼んだ。 そして、玄奘が約1ヶ月滞在し、高昌国の僧達に仏法を説いた。 それがこの寺院である。 |
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大寺院敷地内正面に鎮座する寺院。 現在修復中。 | 寺院に向かって左方に 位置する僧侶の住居。 |
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玄奘が説法した建物。玄奘が旅立とうとした時、 伯雅が引き留めようとあまりに懇願するため、玄 奘はこの中に閉じこもり、断食をし、意志の固さ を示した。大寺院に向かって右方に位置する。 | 玄奘が説法した建物の内部。 レンガ部分は後世に修復した箇所。 |
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アスターナ古墳群入口 | 山のような盛り土の下には、それぞれ墓がある。 |
![]() | 墓への入口。 内部は、耳室(通路の両側についた小さな室。)とその奥に玄室が一つある。 |
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火焔山と駱駝。 火焔山は西遊記の舞台としても有名。 | 火焔山の北側。 土が赤いのがよくわかる。 |
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ベゼクリク千仏洞。 写真は2階部分。 | 火焔山の谷川。 奥に見える建物はベゼクリク千仏洞。 |
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トルファンのバザールの入口。 大通りに面している。 | ウイグル族の赤ちゃんの揺り籠。 |
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バザールのメインの通り。 | バザールの店頭。 民族衣装や帽子、楽器などが売られている。 |
![]() | このトルファンのバザールは地元のウイグル族や漢民族達の日常生活に欠かせないものである。 常に人で賑わっていて夜まで活気付いている。 この焼き立てのパンは奥にいる女性が大きな釜の内側に貼り付けて焼いたもの。 |
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ウイグル族の民族舞踊。 ウイグルの娘達はみな美しく、踊り好き。 | ウイグルの民族音楽。 |
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葡萄乾燥小屋(奥に見える建物)。 レンガを一個おきに積み上げ風通しをよ くし、葡萄を乾燥させ、干し葡萄にする。 | 葡萄乾燥小屋の内部の様子。 |
![]() | トルファンでは、葡萄が名産品で、葡萄農家の数だけいろんな味の葡萄がある。 私がお邪魔をした葡萄農家の葡萄は、日本の葡萄よりも小粒で皮は薄いが、実はしっかりしていて、繊細な香りとほのかな甘さがジワッとしみ込んでいくようだった。 |