トルファン出土の絹織物






トルファンにはアジア両極の織技が集結している。

アスターナ古墳群は、高昌国時代の貴族の古墳群であり、数多くの副葬品が出土している。
そのアスターナ古墳群からは、“経錦”、“緯錦”と呼ばれる絹織物が出土している。
経錦は、古代中国において開発され、緯錦は、経錦を模して西域つまりイラン・シリアの方面において発祥したとされている。
トルファンは、ユーラシア大陸東西の交通の要衝の地として古代より栄えていたオアシス都市なので、その東西の地で産み出されたモノ、文化、技術が存在していても不思議ではない。

ここでは、広大な大地を行き交った古代の技術の変遷をみていきたい。





【経錦・緯錦】

そもそも…、
 錦とは…紋織技法によって紋様が織り表された絹織物のこと。
*経錦(たてにしき)…経(たて)の色糸によって紋様が織り表されている錦。 小柄な紋様を繰り返し織り表すのに適した技法。 古代中国が発祥とされており、中国の伝統的な織物の一つに数えられる。 *緯錦(よこにしき)…緯(よこ)の色糸によって紋様が織り表されている錦。 大柄な紋様を、糸の制約に囚われることなく比較的自由に織り表すことができる技法。 西アジアが発祥の地とされている。

【織技の変遷】


経錦と緯錦の技術の変遷には、諸説あるが、現在有力とされる説は以下の通りである。

経錦は、中国の戦国時代すでにその技法が確立していたとされており、漢代にはシルクロードを通じて西アジアへと渡った。
そして、遥か東の地からもたらされた錦を見た西アジアの人びとが、緻密で華麗な経錦に触発されて、それを模倣し、緯錦という技法で西アジア独自の新たな錦を編み出したのである。
それは再びシルクロードを渡り、唐代の中国にもたらされ、隆盛を誇った。